代表取締役社長 鈴木信夫のブログ

藤木榮先生へのレクイエム

さる2月6日に、元東京都立産業技術研究所(現在の地方独立行政法人産業技術研究センター)主任研究員。藤木榮先生がお亡くなりになり、今週末の葬儀に参列して参りました。ご冥福をお祈り致します。

藤木榮先生は、祖父の弔辞までお願いした弊社の創成期を支えていただいた高名な研究者で、私自身も約20年お世話になりました。藤木先生は、前橋工業高校を卒業後、東京都立工業奨励館(現在の東京都立産業技術研究センターに実験助手として入館。数々の実績を経て、工学博士、熱処理技術士となられました。NEDOや産業技術総合研究所の要職も務められた後に引退。その後も精力的に研究活動や後進の指導に当たられて居られました。

僕との出会いは、祖父の葬儀で弔辞をお願いした事から数年後、家業に戻り、技術相談に行ってからです。
どうしても、開発を成功させたい仕事があり、赤羽の当時の事務所に、ご相談に伺いました。

「お前の爺さんは、私の人生のなかで出会った数少ない天才だった。息子(父の事)は、まあ秀才だった。で、孫にあったらどうだ?ただの元ヤンキーだ。でも、お前の爺さんには恩義がある。だから、、、、、。死ぬま面倒を見てやるぞWWWW」

と、仰ってくださり、亡くなる三日前まで、本当に技術相談を受けてくださりましたし、前日まで奥様に僕の将来を心配されていたと、聞き及びました。藤木先生の指導の下、弊社の「ダイクロン」(開発支援)「ブラストロン」(開発支援)「ダイショット」(共同研究)が有るのであり、その他、多くのダイクロン仕様(耐食仕様、耐エロージョン仕様、耐超音波仕様、耐粉仕様等)が、開発されたのであり、現在の弊社を支えております。葬儀には、日本を代表する熱処理メーカーの皆さんが生花を出されておられ、弊社だけではなく、多くの皆様が先生のご指導を受けたのだなと。そのように感じました。

藤木先生の語録を少し。
「地位や、学位で人間性が代わるモノではない。どんな相手に対しても堂々としなさい。」

「私は、死ぬまでに一本でも多くの論文を書きたいと思って居る。人類の歴史がある限り、論文は残るモノなのだから。失敗した話でも良い。それが、次の研究社の役に立つ」

「人間の知識なんて言うのは、人類の歴史の中では”火花”みたいなモノだ。それは、自分の命も同じだよ。だからこそ、今という時を一生懸命に生きるんだよ。」

「人間は嘘をつくけど、モノは嘘をつかない。声なき声を聞き出す。それが私の仕事だよ。貴方もモノ作りに携るなら、そうあって欲しい」

ETC

思い出は尽きません。

「いつか、鈴木君の書いた論文を査読したいので、データの整理をしておくように」という話は、叶いませんでした。僕が無精で、申し訳ありませんでした。でも、申し上げたい事もございます。

「おまえのじいさんと、飛行機にダイクロンを乗せると約束した。研究を手伝うように」という約束は、まだ途中じゃないですか?

藤木榮先生。御一緒していた研究は、まだ学会発表もまだだし、論文も書き終わっていません。もう少し御一緒したかったです。僕は、まだまだ約束を果たすべく頑張ります。御一緒させて戴いて居りますご高配の皆様や、都市大学の先生とも、必ずやりきると誓いました。

だから、、、、遠くから僕らを見守っていて下さい。
勿論、うちの爺さんと酌み交わしていたという五加皮酒を飲みながらでも良いですから。。。爺さんと御一緒に。

藤木先生。ご指導を戴きまして、本当に、本当にありがとうございました。

 

千代田第一工業株式会社
三代目 鈴木信夫 拝

 

 

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