代表取締役社長 鈴木信夫のブログ

「パスタでCOCO」ってご存じですか??

皆様は、「パスタデココ」というチェーン店をご存じでしょうか??

パスタデココ

http://www.ichibanya.co.jp/pasta/

あんまり見かけることのないチェーン店ですが、あの有名なカレーチェーン「ココ壱」が手がける新業態です。

 

CoCo壱番屋
http://www.ichibanya.co.jp/index.html

 

製造業なら新製品。流通やレストランなら新製品や新業態が、突破口の一つになる場合がございます。新しいことが好きな私は、そんな理由と、そもそもあんかけスパが好きであると居る理由で、利用することがあります。

あんかけスパ

http://nagoya.xtone.jp/class/ankakesupa.html

それぞれの地方で、発達した料理携帯というのは、非常に興味深く、そして、なによりも思い出になりますので、時間があれば、その土地の食事をしたいと思っています。

 

 

このお店で一番驚きましたのは、上記のようにテーブルに100V電源が設置してあったことです。普通は回転率を伸ばすために「立ち食いレストラン」なんてモノもの現在はやっています。それなのに、、、、。非常に興味深いです。

カンブリア宮殿より 壱番屋 創業者特別顧問宗次 徳二 様放送分

http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20100405.html

此方を見たときのことを思い出しました。

人に優しいお店なのかもしれません。

 

皆様も是非!

 

失礼します。

 

 

 

 

 

 
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桜が散りましたが

 

この季節になりますと

幾つかの思い出がございます。

皆さんも多くの思い出と共に生きて居られると思うのですが、

 

その一つに、お亡くなりになった國津信博先生との思い出がございます。

國津信博先生へのレクイエム

http://daikuron.cocolog-nifty.com/nobuo1/2008/03/post_6ef2.html

そんな思い出のなかで、楽しかったことを思い出したく、以前のブログから、転載したいと思います。

恩師との休日 (2007年5月1日ブログより転載)

 

Dsc00496

先日大学時代の恩師である國津信博先生と柳孝一先生。そして、父である会長とご一緒に、ゴルフをする機会が御座いました。

そんなお忙しい先生方を誘って、ゴルフに行った訳ですが、スコアーは、今季最高の108!

OB4つで、この数字でしたら、全く問題ないと思います。!
そんな中、午後のスタートを待っている時に、一つの桜の木が目に留まりました。その時、國津先生が、しみじみと、「綺麗な桜だな、、、、。」Dsc00495
と、言う事を話されました。そんな事を僕は、とても感傷的になってしまいまして、「来年も桜の花が咲くころにご一緒できますか?」とお聞きしましたら、「生きて居たらな!」と、洒落にならないコメントをされた後、先生は、笑われました。そう仰られた先生は、お年もお年ですし、なんか、しみじみしてしまいました。

そして、父のブログにも書いて御座いましたが、15歳もお年が離れているにも関わらず、父の健康にも気を使っていただきまして、涙が出て止まりませんでした。その為にスコアーも下がってしまったかもしれませんが、一生の思い出となりました。

また、ご一緒できますように、僕もがんばりたいと思います。
本当に素晴らしい休日でした。

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柔道の備忘録

私は、柔道を嗜んでおりまして、道場の門を叩いて約25年の月日が経っております。
自分の趣味と、地域貢献の一環で会社のある狛江市の柔道指導員の一人として時々汗を流しており、ストレス解消の機会にもなっております。毎週二回の練習があるのですが、参加しているのは月に2~3回程度(幾分前より少なくなりました)特に、係があるわけでは有りませんが、指導者が足りていないときなどは、馳せ参じるようにしている次第です。

色々申し上げるのは別の機会として、今回は、今年に入ってからの幾つかのイベントに関する備忘録をUPしたく存じます。

・警視庁調布警察署武道始式
 平成26年1月10日
 団体戦の監督として参加。
雑感:なんといっても、会場の雰囲気(地域のVIPが200人集まるところのセンターコート)に子供達が呑まれてしまい、実力の半分も出せていなかったように思います。今回も、調布警察署の方のご厚意で、先方の少年重度部と団体戦を来ない真下が。結果も1-4と惨敗であったのですが、なにより、焦っていることが解りました。大きな声で挨拶をするだけでも、吹っ切れるのですが、、、。指導不足です。

・狛江市民柔道大会
 平成26年2月23日
 司会者&主管の狛江市柔道クラブ指導員として、子供達の世話と計時を行なった。
雑感:寝際という言葉がありますが、立ち技から寝技に移行する瞬間を制して居ないことが敗因である試合が多かったです。指導法を改善する必要と申しましょうか、部活ではないので豊富な練習量があるわけではないので、工夫した練習を心掛けたいと思います。

・合同稽古
 平成26年3月15日
 川崎市の名門「悠友館」と我が道場との合同稽古に参加。
 恥ずかしながら、前の予定が入っており、遅刻してしまいました。先方の中学生と汗を流して、自分の運動能力の低下について改めて感じました。ワンランドしてから柔道という強行軍でしたが、それにしても、、、、、。がんばります。
 
と、いうことで、ちょっと、宣伝をさせて戴きます。

失礼します。

当柔道クラブは、柔道を通じて会員相互の親睦を深め、会員の体力向上と心身の練磨、及び人格の形成を図ることともに、
地域におけるスポーツ振興を期することを目的として活動しています。

狛江柔道クラブ(池田道場)
創立昭和52年
狛江市体育協会加盟昭和60年
代表者 池田悦雄

練習日:毎週水曜日、土曜日 午後6:30~8:30
練習場所:狛江市市民総合体育館B1柔道場
和泉本町3-25-1   ℡ 03-3430-1141

http://www.city.komae.tokyo.jp/index.cfm/28,678,77,348,html

 
池田悦雄師範 講道館柔道7段
  3208_img714213636 近代柔道(ベースボールマガジン社)より           

1.あゆみ
青少年の非行防止に強い関心を持っていた勇士が集まり、昭和52年和泉本町4丁目の「上和泉地域センター」のオープンを契機に青少年を中心とした「上和泉柔道クラブ」を結成し、当センターの体育館において柔道の稽古を始めました。
 その後、会員の増加に鑑み、昭和56年にクラブ名称を「狛江柔道クラブ」と改称しました。さらに、昭和60年の体育協会加盟を契機に「狛江市柔道クラブ」と改称し、今日にいたっています。 等クラブは、青少年(少年少女)の部、一般の部、及び指導者の部があり、市民総合体育館を使用して、定期的な練習を行っております。毎年市内在住在勤の方々はもとより、警視庁当市管轄の調布警察署をはじめ警視庁各少年柔道クラブ、更には三多摩地区の各柔道会の関係者のご支援・ご協力をもって盛大に狛江市柔道大会(協会主催・クラブ運営)を開催し運営いたしております

2.柔道の特性とねらい・将来展望

柔道の特性とねらいは、身体的発達・社会的態度の発達、健康・安全の態度の発達などがあげられ、いろいろな技術の練習を通じて全身的な運動が行え、筋肉・骨格に厚みの在る調和的な発達が施されることです。
 
 さらに、敏捷性・瞬発力・持久力・柔軟性・調整力、また、礼儀・沈着さ・判断力・協力心・自制心・決断力・公正さ・遵法の精神・ベストを尽くす態度などがやしなわれるところにあります。

 柔道は、社会の人々が助け合い、発展していくために、心身の力を最も有効に使用する道を学ぶと言われておりーーー精力善用、自他共栄ーーここに柔道を練習する本当の意味があります。したがって、この柔道を通じて子供達の健全育成の前提に立って、2002年を目処に予定されている学校週5日制導入にあたり、今後より一層の地域社会の受け皿として、苑t環境整備を進めるべき努力を傾注してまいりたいとねがっておいます。また、今後、高齢化、少子化等多様化する社会の変化に対応すべき、柔道と言う共通の趣味をもった多くの方々との交流を深め、市民の健康づくりと体力づくりの一助となるべく、一層の精進を重ねて、参りたいと存じます。

以上です。

池田道場ブログ
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「さくら」の気持ちは知らないけれど(転載)

桜吹雪の季節になりました。
この季節になると、思い出すことがありますので、幾つかUPしたく存じます。
以下

2005年4月22日 ブログより
http://daikuron.cocolog-nifty.com/nobuo1/2005/04/post_907a.html

ご無沙汰しています。
以前に、友人と酒を飲んでいた際。「キャバクラ」と呼ばれる女性のいる店に行きたいという話になりました。そこで、いろいろ考えた挙句、僕のバスケットボール友達がやっている店に行くことにしました。そのお店は「ロシアン・パブ」ということで、女性がロシア人ばかりということで、「どうせ行くなら、友人のやっている店のほうがいいだろう」ということになった次第です。

お店に行きますと、白人女性ばかり居られまして、早速女性たちと話すことになりました。すると、彼女たちは、「ウクライナ」から、みんなこられているそうで、「ウクライナ」で、一番有名なものは、「チェルノブイリ原発」だそうです。お金を払って、核問題を語るのも寂しいものです。

そんな中、彼女たちが、好んで歌う歌がありました。それは、
「さくら」  森山直太郎作詞、作曲
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/i_sakura.htm

でした。

正直びっくりしたのですが、その歌詞の意味もある程度理解して、家族や友人たちを思い出すそうです。そして、口をそろえていうことが、やはり、日本の「さくら」というものの美しさでした。大変意外に思いました。しかし、地球の裏側から来た彼女たちにとっても、「さくら」は、非常に感動的だということに、びっくりしました。言語や文化を超えて、花は人に感動を与えるのであると。。。

「さくら」といえば、「ソメイヨシノ」なわけですが、どうやら、歴史的には、そればかりではないようで

日本百科事典

http://encyclopaedicnet.com/japan/a_/a_a_a___ae_c__2.html

こういった感じになっています。

さくらそのものは、古くから日本人の心を捉えているらしく、調べていくと、季語で「花=さくら」ということだそうです。なかには、こんな歌人もおりまして、

願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃
西行法師(1118~1190)

解釈:願いが叶うならば、何とか桜の下で春に死にたいものだ。しかも草木の萌え出ずる如月(陰暦二月)の満月の頃がいい。
(釈迦がなくなった季節という意味を含んでいるという説もあり)

なんて、歌を残されている人も居られて、彼の有名な歌にはこんなものもあります。

がむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ

解釈:ずっと花を眺めているせいか、花に情が移ってしまい、花たちと散り分かれてゆくのが悲しく思われることだ

というものもあるそうです。
もしかしたら、この気持ちは、日本人の多くの人が、持っている気持ちかもしれません。しかし、僕は、この花を見ると、その花に例えられて、死んでいった青年達のことを思い出してしまいます。

高校時代に、倫理の先生と大喧嘩になったことがあったのを思い出します。「特攻隊で死んでいった青年達はアホだ」と、先生が言ったので、「作戦を考えた人は、アホかもしれないが、死んでいった青年達は、 きっと、”家族を守りたい”とか、小さな幸せを守るために死んでいったのであって、時代背景も考えると、批判をすること自体が間違っているのではないか?」といって、大喧嘩となり、それ以降毎時間口論となって、成績で「1」をめでたく頂戴したのでした。祖父が、戦時中に「回天)(人間魚雷」の技術者であったことや、そのときの気持ちをよく話してくれていたので、気持ちを抑え切れなかったのかもしれません。

僕は、いろんな議論を聞いてはいますが、日本が、独立を保つために、日清、日露、第一次世界大戦、第二次世界大戦と言う選択をしたことによいとか悪いとか言うことができません。少なくとも、最近のアジア諸国の人々の反日運動を見るにつけ、「脚を踏んでいる人は、踏まれている人の気持ちはわからない。」と、申しますが、本当に、彼らの心を理解することもできません。しかし、謝罪するにせよ、賠償するにせよ、わたしは、個人的にはするつもりがありません。実際に、中国や朝鮮系の友人達にそのような事柄を言われたことはありません。大体、「おめーに謝られても仕方がない。」と、いう返事です。しかし、「俺のじいちゃんや、ばーちゃん達は、心底恨んでいるよ。まあ、大体、おめーのじいちゃんばーちゃん達も、嫌いなんだろうけどな。(笑)」と行ったノリです。先人達の軋轢なんか、僕らが友情を持つことができれば、なんの障害にもならないと思います。それは、例えば、祖父母の年代の犯罪を孫の代が支払うことに対して、何の論理的根拠も見当たらないからです。別人格であり、別の時代であるからです。親が、責任をとるのなら、解りますが。その上、国家としてもGHQが入って、ガラガラポンしているような側面があるので、現在の日本人と、以前の日本人を同列に並べていることもまた、理解できません。しかしながら、そんな情報も中国の人々は、知らない可能性もあることを考えると、前回のブログのような気持ちになります。

話を戻しましょう。

僕は、アメリカ海軍海兵隊に友人がいたのですが、彼らが、湾岸戦争に行く時に僕に手紙をくれたことを思い出します。「トレーニング中に」「ロシアンなんかには負けない」といって、世界最強だと豪語していた青年達が、「イラク兵が怖い」と言っていましたし、「死にたくない」と僕に訴えていました。ぼくは、家に無事を祈って黄色いリボンを当時飾っていましたが、そんなことをやっている人は、近所に誰もいませんでした。そして彼らは、「世界平和」ではなく、「自分達の生活を守るために」戦っていったのでした。彼らもまた軍人になることを選んだ人もいましたし、生活苦で、奨学金を得る唯一の手段であったりしました。いろんな選択肢の中で、戦争に行ったのです。時代や状況はちがいますが、やはり当時の青年達の多くは、決して、国家ということを意識をしていたとは思いますが、最終的には、小さな幸せのためにそれが、どのような行為であるかを理解しても守りたいと思ったものが、あって戦いに行ったのだと思います。願わくば、生きたかったのだと思います。

前出の気持ちとは別に、桜の木の立場にしてみれば、「ただ咲いているだけ」なのだと信じます。
気持ちを聞いたことはないので、わかりませんが、彼らは、その人生を全うしようと、ただそこで、精一杯咲いているだけなのではないかと思います。その力に、人は感動し、そして、本来は、力を得て、春という季節から力を貰う。それでいいのではないかと思います。「君が代・日の丸」などの問題と一緒に、「さくら」の議論もされるわけですが、それ自体がおかしいのではないかと思うのです。

そして、願わくば、その花を皆で愛でたい。

そんな気持ちがあれば、、、、。きっと、分かり合える人もまたいるのではないか。国境や、言語や、肌の色を越えて。そんな風に桜の木の下で思いました。勿論、奇麗事を言っているわけですし、何の問題解決にもならないことも解っています。が、、、。桜の木の下で、今年も酒が飲める幸せを友人達と会える幸せをなによりも、家族と花をめでることができた幸せを僕は、今年も感じました。

桜は散り、今は新しい季節がやってこようとしているのですが、
そんなことを思った次第です。

いつもながらに、取り留めのない文章になってしまいましたが、

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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