チョット、古い話になってしまうのですが、子供達を連れて、柔道の試合に参りました。
世田谷区の大会なのですが、連盟に所属していると言うことで、狛江から参加した次第です。
結果は、悲喜こもごもといった感じなのですが、練度の問題と、なにより、場慣れみたいなものが
ないと、やはり大きな舞台ではダメだなと。改めて感じた次第です。
一人の親として、指導者として、日々精進。それしかないと思う週末でした。
それでは、失礼します。
ダイクロン、ブラストロンのことなら、千代田第一工業株式会社へ
過日、友人である株式会社マキノさんが、周年事業を行なうという情報が、共通の友人経由で入ってきました。
そこで、お花をご送付したところ、素敵な御礼が。。。。
なんて素敵なカップでしょう!!
チョット嬉しくなりました。
弊社は、70年を越えましたが、父の病状もあったので、何も出来ませんでした。
会社の皆に何か贈れるような、そんな会社になりたいです。
今年も頑張ります!!!
ダイクロン、ブラストロンのことなら、千代田第一工業株式会社へ
以前のブログ
http://daikuron.cocolog-nifty.com/nobuo1/
現在、私は年始のご挨拶で色々な地域に伺っているわけですが、普段でも出張が多く、有るときはバッタリ、有るときは、時間を作って友人達に会うことがございます。
先ずは、九州国際大学のジェフ先生。18歳からの友人で、大日本武徳会の合気道の先生でもあられます。時々、弊社のネイティブチェックを御願いしておりまして、ご挨拶に伺い、そのまま昔話に花を咲かせました。
話の殆どが、武道の話になるわけですが、非常に有難い友人の一人です。
そして、バッタリ会った人が居られます。約20年ぶりに、町を歩いていたら、柔道道場の先輩に会いました。学生時代はかなりの手練れで、140kg近い体重もあったのですが、引退された後には、凄く痩せられていました。(と言っても、一般的な人から見れば、大きい分類ですが)こうやって、僕が気がついてお声がけをしたのですが、昔と変わらぬ笑顔を見ることが出来ました。場所は、何と新宿。奇跡のような時間でした。
もう一つ、バッタリのお話しなのですが、過日のベトナム出張で、展示会場に、前職の先輩を見つけました。やはり、20年ぶりだったのですが、私が見つけて声を掛けました。僕と、独身寮は同じ時期には居られなかったのですが、共通の先輩を通して、大いに夢を語っていたのが懐かしいです。先輩も私も、家業を継いで現在は、経営者な訳ですが、そういった偶然もまた、人生にあるのだと感じた次第です。
そして、最後に、5年ぶり位に、嫁の会社の先輩とお会いすることが出来ました。既に退職されて、別の仕事をされているのですが、急に思い出して、連絡をしたところ、お時間を戴く事が出来ました。昔話を少々と、それぞれの道について語り、良い夜となりました。因みに、お会いしたのは、北海道。たまたまご自宅の近くで出張があったので、お声がけした次第です。
私は現在まで、アメリカ時代の友人と、登戸駅であったり、関西のお客さんと三島駅でお会いしたり、銀座で旧友を見つけたり、新橋で以前お世話になった方に声を掛けられたりと、普通の人より多く「再開」をする機会がございます。もしかしたら、これを読んで戴いている方とも、どこかで「バッタリ」お会いすることもあるかも知れません。そんな時には、是非、お声がけ出来たら幸いです。
それでは、失礼します。
ダイクロン、ブラストロンのことなら、千代田第一工業株式会社へ
以前のブログ
http://daikuron.cocolog-nifty.com/nobuo1/
新年明けましておめでとうございます。
皆様におかれましては、健やかに輝かしい新春を迎えられた事とお喜び申し上げます。令和2年の年頭にあたり謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
時代は令和に変わりましたが、去年は、トラブル続きの年でもございました。父の他界に伴い、社員の皆にも不安な思いをさせてしまいましたし、厳しい経済環境の中で、上手く立ち回ることも出来ていなかったと思います。
しかしながら、自分と向き合う時間を少し持つことが出来た事は、幸いでした。父の長い闘病生活の中で、私自身は、多くのモノを失いました。しかしながら、新しい時代が始まったのですから、私自身も大いに変化したいと思います。何故なら、こう言った厳しい環境の中でも、協力して戴ける、応援して戴ける多くの方々が居られたからです。
ですから、今年の目標は「逃げない、隠さない、誤魔化さない」と、したいと思っています。それは、自分自身の想いや、願い。祈りに対して真っ直ぐにいたいと言う意味もございますし、社内外の理不尽なことにも、何かしらな対応をしていく事も意味します。恐れていたことも沢山ありました。守らなければいけないことも。なんとなく「必要悪」的な思いで、やり過ごしてきたことも、沢山ございます。
そんな私に、ダイクロンの開発にも携った故藤木榮先生が、僕に良く仰っていた事があります。それは、
「人生なんてモノは、人類の歴史から見れば”火花”みたいなモノだ。だから、科学者である私は、死ぬまで論文を書き続ける。なぜなら、人間の歴史が有り続ける限り、誰かの役に立つと信じているから。信夫君は、モノ作りをやる人間だろ?技術的な挑戦をしなさい。そして、世の中に問いなさい。それが、技術者と言うモノだよ。」と、仰っていました。
批判や、批評ををしているほど、人生は時間がないと思います。提案をして、行動をしていきたいと思います。
今年の千代田第一工業に、乞うご期待ください。
令和2年1月吉日
千代田第一工業株式会社
代表取締役 鈴木信夫