代表取締役社長 鈴木信夫のブログ

國津信博先生へのレクイエム(再転載)

桜の季節になりますと、幾つか思い出すことがございます。

表題は、レクイエムの転載なのですが、実は、チョットだけ、新しい話をしたいと思っています。
下記の様に、私は、國津信博先生に学生時代にとても影響を受けたのですが、その先生によく言われていたことが在ります。

 

それは、

「鈴木君ほど、努力する学生も余り見たことがないが、それが成績に反映されない学生を見たことがない。しかし、君には別の才能があると思う。その部分を伸ばすことに意識を集中させなさい。例えば”複式簿記”は概念をだけを理解し、会計学や原価計算といった意思決定に直接的な学問を勉強すること。これは、コンピューターの世界でも、経営学でも同じ。概念を理解し、意思決定に纏わる学問を勉強しなさい。何が言いたいかというと、貴方が仕分けをするのではなく、仕分けの出来る社員を雇える経営者になりなさい。勉強も同じ事。貴方より優秀な社員が雇える様な経営者になりなさい。それが、鈴木君には出来ると思う。。。そうでない経営者が世の中にはごまんと居るからな」

と、20歳そこそこの学生に、國津先生は、仰っていました。

それを信じて、今まで生きてきたわけですが、最近それが実現してきました。
一昨年、父が倒れてからというもの、目を掛けて居た社員数人が弊社を辞めていきました。全員が、殆どが素人からの採用であったので、教育費を考えると憤りさえ覚えたわけです。しかしながら、前出の言葉を信じて経営をしておりましたら、大企業で活躍して居られたバリバリのエンジニアを紹介されたり、父の代から大変お世話になっていた保全の御担当者がグループ会社を断って弊社に入って頂きました。他にも業界は違いましたが院卒の人や、超一流国立大学卒の人まで、入社の予定です。弊社は30人そこそこの中小、中堅企業であるわけですが、こんなに凄いメンバーが揃うことも珍しいと思って居ます。勿論、現在までのメンバーも、多くの会社を凌駕していると、いつも感じておりましたが。

そんな折、私が「風が吹いてきたぜ!」と、旧友に言いましたら「あのなー。フォローの風でも、その風にまで届かないと玉って失速するんだぜ」と、ゴルフの打球を例に教えてくれました。

気を引き締めて、しかし、楽観的にやっていきたいと思います。

 

以下転載

國津信博先生へのレクイエム(2008年3月11日より転載)

http://daikuron.cocolog-nifty.com/nobuo1/2008/03/post_6ef2.html

國津信博先生へのレクイエム
先日、学生時代に大変御世話になっていた國津信博先生が逝去されました。
謹んでお悔やみ申し上げます。

僕は、本当に出来の悪い学生でしたが、先生のご指導で、今の自分を作る事ができました。
本当に、本当にありがとうございました。

國津先生との出会いは、大学1年生の一般教育科目で先生の授業を受講した事が始まりでした。簿記概論と会計学概論という授業であったように思います。僕は、授業内容は、さっぱり解らなかったのですが、先生の「実業界では、、、、。」という話に、胸を躍らせていたのを覚えています。

例えば、
「小さなミスは、部下のせいに。大きなミスは上司のせいにしなさい」なんて、言葉を授業中にされていました。責任を回避しろという意味ではなく、先生は、「そうやって、考えていかないと精神的にやられてしまう。自分の中では、そうやって考えて行動しなさい。」という内容であったと記憶しております。

それから、「火中の栗を拾え!」という言葉も忘れる事ができません。汗をかくことや、手を汚す事ましては、企業の中で問題となっている事柄を進んで取り組む事は、普通は出来ません。しかし、それを乗り越えようとする「気概」みたいなものが必要であるという話であったと思います。尊敬するアルプス技研の創業者、松井利夫相談役の「ウエルカム・トラブル」ではございませんが、物理的な栗を拾うという意味ではなく、そうやって、挑戦するようにしないと、僕達は勝っていけないというメッセージだったように記憶しております。

僕は、ロクな学生ではなかったので、あるとき学長さんに大目玉を貰って、大学を辞めようと思っていたとき、國津先生は、タバコを一本くださいました。そして、僕にタバコの火をつけてくださいました。恐縮していたところで、いきなり

「気をつけ!」と怒鳴れ、「鈴木君?君は、僕のことをどう思っているか?そうか、尊敬しているか。なら、そんな人に、火をつけてもらったら、どう思うかね?そうか、申し訳ないと思うか?。その尊敬している人に言われた事は、守るな?。そうか、守るか。なら、”大学を辞めるな。砂を噛んでむようなことがあっても、恥ずかしい事があっても、辞めるな”わかったな?以上だ。」

と、言われました。

あれは、大学3年生の春。ゼミ室に行く手前の便所の前です。先生は、100円ライターで火をつけてくださいました。タバコは、キャスターマイルドのソフトケースでした。鮮明に覚えています。

僕はその後、柳孝一先生の指導の下、人生で一番勉強しました。本当に楽しかったです。寝る間も惜しんで本を読み、卒業に関係の無い授業を受け、週末は、家業で働き、学外活動もしましたし、勉強になると思った講演会には、参加していました。そのときから、一生勉強するんだと。心に決めた次第です。

http://daikuron.cocolog-nifty.com/nobuo1/2007/05/post_1979.html#more

http://daikuron.cocolog-nifty.com/nobuo1/2005/09/post_e873_1.html

このように、本当は、桜の咲くころゴルフをする予定でした。今月決算をお持ちする予定でした。
何故、何故。。。。という気持ちは付きません。しかし、それでも生きていかなければいけないなと先生の教え子の一人として胸を張って生きていかなければいけないなと、今は考える事ができるようになりました。

実は、先生がなくなる前に、母校の同窓会主催の記念講演会を企画したことがございました。
先生の健康状態も鑑みると、批判を受ける事も多かったのですが、「お孫さんの前で、講演をしていただきたい」」という想いだけで、皆さんの協力を得て成功する事ができました。そして、お帰りになるときに、「鈴木君ありがとうなあ。鈴木君の情熱が、今回企画を成功に導いたんだよ。来年は、来年は、聴講をしにくるから、よろしくなあ。ありがとうな。ありがとうなあ、、、、、。」
と、肩を叩かれました。泣きそうでしたが、といいますか、今書きながら涙が止まりませんが、それが最後にお話したお言葉です。「創意工夫は、情熱から生まれる」きっと、僕には、それしかない。何の才能も無く、立派な学生では在りませんでした。でも、情熱を持って、これからも生きて行きたい。そう思っています。

國津先生。本当にありがとうございました。ご恩は、一生忘れません。先生の授業を受けた学生の一人として、
胸を張って、生きていきます。本当は、まだまだ先生に注意されたかったですが、、、。。

本当に、本当に、ありがとうございました。

そして、ご冥福をお祈りしております。

失礼します。

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