尊敬する経営者の方が、紹介していた記事をシェアいたします。
飛び級の可能性を紹介している記事なのですが、何回かの記事で、特にスポーツの世界では顕著に「学年別」となっている弊害にも言及されていました。
飛び級、落第を許さない日本の「横並び」主義が生む教育の形骸化(ニューズウィーク日本版)
激しく同意します。
また、スポーツの世界の問題の記事で、集合知としてご紹介されていた資料をご紹介します。
一人でも多くの競技者に、少しでも長く陸上競技を続けて貰いたい
(公益財団法人 日本陸上競技連盟)
https://www.jaaf.or.jp/athleticclub/transferguide.pdf
前出の記事の内容は、少なくともスポーツ界ではエビデンスがあり、
学習もまた、同じ事が言える可能性があることを示唆していると思います。
これらの内容を拝読して、思ったことが二つございます。
一つは、それを行うためには、学校運営に関するZTも必要であること。
もう一つは、経済的な格差がそのままスライドしないように、何かしらの方策を考えること。
まず、前者ですが、
米国における学校安全への対応(3)
- ゼロトレランスと停学・「隔離」の抑制 -
宇田 光(南山大学教職センター)
https://core.ac.uk/download/pdf/236164882.pdf
という論文をご覧下さい。
学習機会を平等にしないと、いけないと言う以前に、飛び級がいじめの温床になってしまうことを
恐れて、こういったモノを導入する必要があると考えております。現在の結果の平等を求める
義務教育機関では、出る杭は打たれる傾向にもあり、異質なモノに対する許容が、極端に減っているとも思います。
飛び級だけを認めると、その才能を潰してしまうのでは無いかと思います。
自裁に僕が通っていた高校では、中学時代に素行が悪いが、偏差値の高い生徒が少なからず居ました。
あるモノは、暴力的であり、あるモノは、天才的過ぎてノートもロクに
そこで問題となるのが、そう言った素行の悪い生徒達の生活環境です。家庭教育、学校教育、地域教育というのは、本当は、セットのように思うのですが、批判ばかりで協力体制について議論をする機会は、非常に少ないと思っています。つまり、才能溢れる子供が、経済的弱者で有った場合には、今の教育制度や、先程の飛び級を利用する機会も得られない可能性があると、かんがえるのです。
そこに対する一つの答えをコリンパウエル元米国国務長官がこのTEDの中で提案され、実践されています。
コリン・パウエル「子供たちに法則のある環境を実行する」
https://www.ted.com/talks/colin_powell_kids_need_structure?utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare
私の柔道の師匠は、同じ発想で30年以上、地域教育者として、ご活躍されてきました。僕は、その道場の指導者の末席を汚しているわけですが、子供達の可能性を信じて、色々な政策を是非とも実行していって欲しいと願わないでは居られません。
飛び級と、ZT。そして、バックアップ。色々議論があってよいと
長文駄文で失礼しました。
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