代表取締役社長 鈴木信夫のブログ

魂のいちばんおいしいところ(愛する人への鎮魂を込めて)1月 04, 2005より転載

去年は、弊社で祖父の代から50年間勤め上げて下さった取締役工場長の宮崎里美さんと、製造部で30年以上働いて下すっていた松井雅徳さんが闘病の末、亡くなりました。

心からご冥福をお祈りします。

弊社は71期を迎えておりますが、前期まで、在職中の職員が亡くなるというケースは無く、本当に大きな損失でしたし、忘れることの出来ない年となりました。
宮崎さんは、僕が生まれた次の年には、弊社に参加していましたので、僕にとっては「遠い親戚」と言った感覚の方でした。それこそ、仕事を一から教わりましたし、
少し与太っていた事態には、よく怒られたのを記憶しております。僕が生な返事をすると「お前のことは、檻の中から知っているんだ。生意気言うな!」と、
と、いつも仰っていたので、その度に「僕は、警察に捕まった事なんて無い!」と、返すと決まって「お前が、ベビーベットのにいた時から知っていると言う意味だ!」
と、言われていたのを今でも覚えています。酸やアルカリ。有機溶剤の危険性も教えて頂きました。そのお陰で「毒劇物取扱主任者」試験では「実地科目」について、
余裕で突破したことを覚えています。死ぬまでメートル法ではなく、尺寸法で物事を表現されていたので、時々閉口することもありましたが、そういった所が大好きでした。
何より、亡父が倒れた時に「信夫は、千代田に帰ってこい。お前が取ってきた仕事は、必ず俺がめっきを付けてやる。帰ってこなかったら、この会社は無くなると思う」
と、言われたことが、直接的な千代田第一工業株式会社に入社する切掛となりました。。。。。素晴らしい技と知識をおもちであった素晴らしい職人でした。

後でご親族に聞いた話ですと末期を悟り、最後のご挨拶として、会社に電話を頂いたにも関わらず「忘年会の席順と挨拶の順番」について、ご相談させて頂いて、
「早く帰ってきてくれないと、飲み会で困るので、元気になって下さい」と申し上げたら、大きく笑って「解った、解った。できるだけ早く会社に復帰するから、
心配するな」と、お話しされて笑って電話を切った直後、意識を失ったという事で、私の配慮の無さが、今でも悔やまれます。

松井さんは、僕が高校、大学と会社を手伝っていたときには、居られなかった方で、僕がサラリーマンをしていたときに入社された方でした。
入社時には、僕と兄以外で若手と言えば、松井さんだけで、毎日、毎日、会社の問題を話し合っていました。その頃は、僕は殆どお酒を飲みませんでしたので、
事務所でお茶を呑みながら、お話ししていました。現在でも続いている「千代田通信」という社内日報は、二人で作ったモノでした。
それは「営業側と製造側の風通しを良くしたら、もっと会社が上手くいくのでは?」という、二人の問題意識から来たモノでした。

それから、社内行事というと、いつも一緒にパシリをしていました。有るときは、寒空の下、お花見の場所取り。バーベキューと言えば、鉄板の輸送から、
火起こし、お酒の用意等など、雑用と言えば、いつもそうでした。松井さんは、約1年ほど、闘病生活をしておられたので、時々連絡を取り合っていたわけですが、
「最近は、夢で会長(亡父の事)に会う機会が増えてるよ。夢の中でもバフ(研磨のこと)をやって居るから、腕は落ちていないから、大丈夫だよWWW」と、
仰って居たので「親父が、天国で寂しがっているかも知れないので、あんまり優しい顔しない方が良いですよ。親父は相変わらず怒鳴っていましたか?」
と、お聞きしましたら「そーいえば、優しいんだよねーWWW」と、言ったので「ヤバいです。親父が呼んでいるので、気をつけてください。松井さんが
天国いったら、親父にパシられますよ!」と、笑って電話を切ったのが、最後の会話になってしまいました。。。。。後で、ご親族にお聞きしたところ
本当に、難病であり、余命宣告も受けていたにもかかわらず、最後まで、治療や、リハビリに前向きで、最後まで千代田への復帰したいとお話しされていたそうです。

松井さんは、色々な部署を経験されていたのですが、特にバフと呼ばれる研磨工程でその力を発揮されていました。それこそ、とある大企業の方々から、
「理論上はできるけども、実際には製作が難しい金型」の補修を行う際、イヤーマフ(聴覚保護の為の器具、見た目はヘッドホンに似ている)をして、
大きな金型に向き合い、巧みな道具捌きで、成功に導く姿を「DJ松井」と、表していたのが、思い出されます。その技術をみたお客さんの「技術オリンピック指導員」
の方が、いつしか「DJ松井に任せれば、この仕事は大丈夫ですね!」と、言って下さり、実際にそのラインが動き始めたときに、お褒めを頂いたのが
昨日の事のように思い出されます。

お二人とは、ご一緒に人生を賭けて、仕事をご一緒させて貰いました。
それは、魂のぶつかり合いだったようにも思います。頂戴した魂を必ず、引き継いで、この会社を続けていきたいと思います。

本当に、本当に、ありがとうございました。
そして、まだ僕は、そっちには行けませんが、親父と一緒に、僕らを見守っていて下さい。

宮崎さん。松井さん。本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りしています。

千代田第一工業株式会社
代表取締役社長 鈴木信夫

 

 

 

 

以下
魂のいちばんおいしいところ(愛する人への鎮魂を込めて)1月 04, 2005より転載

 

先日、友人の結婚式で、ある詩集を新婦にプレゼントしている人がおられました。

谷川俊太郎著「魂のいちばんおいしいところ」と、言うことでしたので、早速購入し、読んでみました。
インターネット情報によると、どうやら、この詩は、合唱曲にもなっているらしく、新婦が高校時代合唱部に所属していたことから、知るところになったのではないかと勝手に想像しておりました。さて、式の中で朗読されていた詩

「魂のいちばんおいしいところ」ですが。

もう一度読んでみると、やはり、素晴らしかったです。

….何一つことばはなくとも
あなたは私に今日をくれた
失われる事のない時をくれた….

という箇所に、目が留まりました。
これは、どこにでもある「ラブソング」と解釈することも出来ますが、もっと広い意味でも解釈できます。

去年の初めに、小中学校時代に大変お世話になってていた友人の父親が亡くなりました。友人にも大変お世話になっていたのですが、地元の「ワル」い連中は、みんなその親父さんには世話になっておりました。僕も、小学校時代に、いじめられっこだった時代に、随分とその人に世話になっておりました。よく相談に乗ってもらったり、逆に大きくなって、問題を起こすと、ご飯をご馳走になっておりました。市議会の議長までやられておられたのですが、利益誘導するようなことは、一度もありませんでしたし、ご自宅も失礼ですが、たいした事はありませんでした。選挙カーさえボロかったのを覚えています。他の人たちが煌びやかな雰囲気で、選挙を行っている中。駅前で立って辻説法を行っている叔父さんの姿が印象的でした。そして、見つかるとマイクで呼び止められ、知らない人ばかりのテントしかない選挙事務所で、無理やり連れて行かれ、ご飯を食べて帰ったのを覚えています。選挙権がまだ無い僕に飯を食わしても、何の得にもならないのに、、、、。そして、一番お金を掛けていないのに、いつもトップに近い当選をはたしていました。きっと、僕のように、お世話になった人が、沢山いたのでしょう。その方が亡くなり、学生時代のように、除夜の鐘がなるころに、ご自宅に伺い、お線香を上げてきました。友人曰く「丁度、家族でお前の話をしていた。昔は、こんな時間に、毎年遊びに来ていたなってな。」と、言って笑いました。その中で、「ぼくら生きて居る人は、いったい何が出来るのか?」という命題を話ていました。あと、叔父さんは「人の面倒を見るのが好きだったのか?」と、いう話もしていました。きっと、「嫌いではなかったけど、望んでは居なかったのではないか?」ということになりました。「人が、人を呼び、叔父さんの人柄が、勝手にそのような結果になったのではないか?」という結果に到りました。そして、僕らに出来ることは、叔父さんがしてくれたことを誰かにすることではないか?と考えた次第です。

そして、年始早々、北海道の祖母が亡くなりました。母方の祖母なのですが、やはり、僕も思うところが有りました。祖父母は、北海道で僻地教育といって、学校の無い地域に小学校を作る仕事に携わっていました。祖父は、小学校の校長先生で、多くの地域で、学校を作ったそうです。残念ながら、距離も遠かったので、多くを語ることが出来ませんでしたが、「パイオニア精神」は、母方の祖父母から受け継いでいると、いつも感じておりました。そして、北海道の叔父さんや叔母さんそして、従兄弟達と話す度に、その気持ちは、確信に近いものを感じていました。そして、人に対する優しさもまた、学んだ気がします。そして、祖母を見送る母の背中に、涙が出ました。私は、いつも祖父母に愛されていることを感じていました。その気持ちは、一生忘れないようにしたいと思います。

きっと、ぼくは、そうした人たちから、「魂のいちばんおいしいところ」を貰っていたのだと思います。ぼくは、それを貰ったからこそ、今生きている。そう思いました。

この詩は、このように締めくくられています。

……….そうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた

そう、きっと、そうだったのではないかと思います。

その魂を僕は受け継いで、今日という日を生きたいと思います。

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