去年のブログで、コロナ禍で大変お世話になった職員を失ったお話しを書かせていただきました。
2023年2月23日魂のいちばんおいしいところ(愛する人への鎮魂を込めて)1月 04, 2005より転載
https://daikuron.com/noblog/?p=3850
現在収束に向かっていると「言われている」新型コロナウイルスではありますが、今年に入って、尊敬する経営者であった叔父も、失いました。しかしながら、政治はのんきなモノで、「アベノマスク」問題もうやむやになりましたし、現在、公費を裏金として流用していた政治家達も、今後も糾弾されないで終わる気配を見せています。
翻って、景況を申し上げますと、コロナ禍で失ったモノは余りにも大きく、これから経済的なインパクトも大きくなってきていると思います。弊社における大口のお客様からの受注状況も又、ライフスタイルの変化によって、もう戻ってこないモノもございます。お陰様で、新規のお客様や、以前からお世話になっているお客様より10年以上ぶりの補修が入ったり、北米向けの輸出案件があったりと、千代田は頑張っております。
ビジネスは回復しても、精神的に立ち止まっても居られませんので、失った職員が2名とも「癌」であったことから、今年から弊社では「年一回の人間ドック」を補助することと致しました。その結果、やはり癌が早期に発見され、GW後に完全復帰した職員が現れました。弊社は、中小企業ですから、何でも出来るわけではないのですが、保険組合さんの力添えも有り、一人の職員の命が救えたことを大変誇りに思っております。
前振りが長くなりましたが、前出のブログを書いていたときには、ショックが大きすぎて、書くことが出来なかったのですが、葬儀に黒部まで行って参りました。
そのときの写真が整理中に出て来たので、UPしたいと思った次第です。
(石田漁港にて)
一時間ほど、空き時間が出来たので、海を見たくなって行って参りました。気分的には、日本海特有の荒波を見たかったのですが、所謂「べた凪」でした。暫く海を見ているだけで心が落ち着いてきた次第です。
黒部と言えば「黒部の太陽」(https://youtu.be/8RsCY30SutU?si=Eo-AQwJW3WgSQ7gl)黒部の太陽と言えば「トロッコ列車」(https://www.kurotetu.co.jp/about_troko/)ということで、駅にも当時のモノが展示されておられました。おもったより小さくて、その厳しい状況が忍ばれます。。。。
何故、今頃になって、心の整理が付いてきたかと申しますと、今年に入って「いつでも会えると思って、会っていない人に会いに行く」という活動を開始したからとなります。「前職でお世話になった元社長さん」や「大病を患って生還した友人」。「祖父と父が大変お世話になったお客さん」等、年賀状位で済ませていた人に、積極的に会いに行っています。「会えなくなってしまう前に。。。」と、言う気持ちと「今なら、まだ会える!」という気持ちでアポイントを取っているのですが、非常に前向きな気持ちとなり、何より、色々な気付きを頂いております。ちょっと、時間が経ってしまいましたが、また一歩前進できたと思っております。
皆様も如何ですか?
それでは、失礼します。
ダイクロンやブラストロンのことなら
千代田第一工業株式会社へ
皆様は、好きなファミリーレストランはございますか?
私は、第二次ベビーブーマーですので、ファミリーレストラン(以下ファミレス)の業体がひろがっていく過程を目の当たりにしておりました。スカイラーク、デニーズ、ロイヤルホスト、カーサ、サンデーサン等、それぞれのチェーンの色々名お店で思い出がございます。が、最近は、減少傾向となっており、地元のお店の多くは同じ飲食店でも業体が変わっているか、無くなってしまったところが殆どです。
そんな中、最近関東に進出しているファミレスチェーンがございます。
それが、こちら
ジョイフル
https://www.joyfull.co.jp/“>https://www.joyfull.co.jp/
さんとなります。
私が初めて、利用したのは20年程前の事です。色々トラブルがあって、一時期大分県に固めて出張していた時のこと。ホテルからお客さんの工場があまりにも距離があり、安心してホテルの朝食を食べる事が出来なかったことから、途中のファミレスに場所を切り替えたのがはじめたのが、こちらのお店でした。勿論、牛丼屋さんや、ハンバーガーショップ。コンビニでお弁当という選択もあったのですが、こちらの朝食が驚く程安く、美味しかったので、担当が変わるまで同じお店で食事をしていおりました。
テイクアウトメニュー
https://www.joyfull.co.jp/menu/takeout/?categ_id=44#no_44
コロナ禍では、テイクアウトにも力を入れて居られて、家族で数回利用させて貰いました。
何故か、YouTuberのヒカルさんと何時もコラボレーションされています。
チョット、前の画像ですが、オイシク頂きました。
たまには、日頃行っていないファミレスに伺うのは如何でしょうか?
新しい発見も、あるかもしれません。
それでは、失礼します。
ダイクロンやブラストロンのことなら
千代田第一工業株式会社へ
先月、私は52歳の誕生日を迎えることが出来ました。
大変有り難いことだと考えて居ります。
しかし、今年の誕生日は、大変でした!
何故なら、子供と共に、風邪を引いてしまいまして、寝込んでしまったからです。
結構くだらない話なのですが、前日、あまりに疲れて居りまして、風呂に入りながら、寝てしまいました。。。。。
朝起きたら、体は冷えておりますし、熟睡も出来ておりません。そして、慌てて出社し、働いて居たのですが、体調が優れません。
17:00にリモート会議を終わらせて、早退いたしましたところ、、、・
熱がこんな感じでした。次の日が、工業組合のイベントで、私が幹事を拝命していましたので、祈るような気持ちで、就寝いたしました。
そうしましたら、次の日には、平熱に戻り、体調も万全。どうやら、基礎体力はまだ残っているようです。
毎週、柔道で汗を流しているからカモです。散々な誕生日でしたが、大変自信になりました。
52歳という年も、全力で走り抜けたいと思います!変わらぬご指導の程、お願い申し上げます。
それでは、失礼します。
ps、、、なんとなく、去年の写真が発掘されたので、ついでに掲載しておきます。!
去年は、弊社で祖父の代から50年間勤め上げて下さった取締役工場長の宮崎里美さんと、製造部で30年以上働いて下すっていた松井雅徳さんが闘病の末、亡くなりました。
心からご冥福をお祈りします。
弊社は71期を迎えておりますが、前期まで、在職中の職員が亡くなるというケースは無く、本当に大きな損失でしたし、忘れることの出来ない年となりました。
宮崎さんは、僕が生まれた次の年には、弊社に参加していましたので、僕にとっては「遠い親戚」と言った感覚の方でした。それこそ、仕事を一から教わりましたし、
少し与太っていた事態には、よく怒られたのを記憶しております。僕が生な返事をすると「お前のことは、檻の中から知っているんだ。生意気言うな!」と、
と、いつも仰っていたので、その度に「僕は、警察に捕まった事なんて無い!」と、返すと決まって「お前が、ベビーベットのにいた時から知っていると言う意味だ!」
と、言われていたのを今でも覚えています。酸やアルカリ。有機溶剤の危険性も教えて頂きました。そのお陰で「毒劇物取扱主任者」試験では「実地科目」について、
余裕で突破したことを覚えています。死ぬまでメートル法ではなく、尺寸法で物事を表現されていたので、時々閉口することもありましたが、そういった所が大好きでした。
何より、亡父が倒れた時に「信夫は、千代田に帰ってこい。お前が取ってきた仕事は、必ず俺がめっきを付けてやる。帰ってこなかったら、この会社は無くなると思う」
と、言われたことが、直接的な千代田第一工業株式会社に入社する切掛となりました。。。。。素晴らしい技と知識をおもちであった素晴らしい職人でした。
後でご親族に聞いた話ですと末期を悟り、最後のご挨拶として、会社に電話を頂いたにも関わらず「忘年会の席順と挨拶の順番」について、ご相談させて頂いて、
「早く帰ってきてくれないと、飲み会で困るので、元気になって下さい」と申し上げたら、大きく笑って「解った、解った。できるだけ早く会社に復帰するから、
心配するな」と、お話しされて笑って電話を切った直後、意識を失ったという事で、私の配慮の無さが、今でも悔やまれます。
松井さんは、僕が高校、大学と会社を手伝っていたときには、居られなかった方で、僕がサラリーマンをしていたときに入社された方でした。
入社時には、僕と兄以外で若手と言えば、松井さんだけで、毎日、毎日、会社の問題を話し合っていました。その頃は、僕は殆どお酒を飲みませんでしたので、
事務所でお茶を呑みながら、お話ししていました。現在でも続いている「千代田通信」という社内日報は、二人で作ったモノでした。
それは「営業側と製造側の風通しを良くしたら、もっと会社が上手くいくのでは?」という、二人の問題意識から来たモノでした。
それから、社内行事というと、いつも一緒にパシリをしていました。有るときは、寒空の下、お花見の場所取り。バーベキューと言えば、鉄板の輸送から、
火起こし、お酒の用意等など、雑用と言えば、いつもそうでした。松井さんは、約1年ほど、闘病生活をしておられたので、時々連絡を取り合っていたわけですが、
「最近は、夢で会長(亡父の事)に会う機会が増えてるよ。夢の中でもバフ(研磨のこと)をやって居るから、腕は落ちていないから、大丈夫だよWWW」と、
仰って居たので「親父が、天国で寂しがっているかも知れないので、あんまり優しい顔しない方が良いですよ。親父は相変わらず怒鳴っていましたか?」
と、お聞きしましたら「そーいえば、優しいんだよねーWWW」と、言ったので「ヤバいです。親父が呼んでいるので、気をつけてください。松井さんが
天国いったら、親父にパシられますよ!」と、笑って電話を切ったのが、最後の会話になってしまいました。。。。。後で、ご親族にお聞きしたところ
本当に、難病であり、余命宣告も受けていたにもかかわらず、最後まで、治療や、リハビリに前向きで、最後まで千代田への復帰したいとお話しされていたそうです。
松井さんは、色々な部署を経験されていたのですが、特にバフと呼ばれる研磨工程でその力を発揮されていました。それこそ、とある大企業の方々から、
「理論上はできるけども、実際には製作が難しい金型」の補修を行う際、イヤーマフ(聴覚保護の為の器具、見た目はヘッドホンに似ている)をして、
大きな金型に向き合い、巧みな道具捌きで、成功に導く姿を「DJ松井」と、表していたのが、思い出されます。その技術をみたお客さんの「技術オリンピック指導員」
の方が、いつしか「DJ松井に任せれば、この仕事は大丈夫ですね!」と、言って下さり、実際にそのラインが動き始めたときに、お褒めを頂いたのが
昨日の事のように思い出されます。
お二人とは、ご一緒に人生を賭けて、仕事をご一緒させて貰いました。
それは、魂のぶつかり合いだったようにも思います。頂戴した魂を必ず、引き継いで、この会社を続けていきたいと思います。
本当に、本当に、ありがとうございました。
そして、まだ僕は、そっちには行けませんが、親父と一緒に、僕らを見守っていて下さい。
宮崎さん。松井さん。本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りしています。
千代田第一工業株式会社
代表取締役社長 鈴木信夫
以下
魂のいちばんおいしいところ(愛する人への鎮魂を込めて)1月 04, 2005より転載
先日、友人の結婚式で、ある詩集を新婦にプレゼントしている人がおられました。
谷川俊太郎著「魂のいちばんおいしいところ」と、言うことでしたので、早速購入し、読んでみました。
インターネット情報によると、どうやら、この詩は、合唱曲にもなっているらしく、新婦が高校時代合唱部に所属していたことから、知るところになったのではないかと勝手に想像しておりました。さて、式の中で朗読されていた詩
「魂のいちばんおいしいところ」ですが。
もう一度読んでみると、やはり、素晴らしかったです。
….何一つことばはなくとも
あなたは私に今日をくれた
失われる事のない時をくれた….
という箇所に、目が留まりました。
これは、どこにでもある「ラブソング」と解釈することも出来ますが、もっと広い意味でも解釈できます。
去年の初めに、小中学校時代に大変お世話になってていた友人の父親が亡くなりました。友人にも大変お世話になっていたのですが、地元の「ワル」い連中は、みんなその親父さんには世話になっておりました。僕も、小学校時代に、いじめられっこだった時代に、随分とその人に世話になっておりました。よく相談に乗ってもらったり、逆に大きくなって、問題を起こすと、ご飯をご馳走になっておりました。市議会の議長までやられておられたのですが、利益誘導するようなことは、一度もありませんでしたし、ご自宅も失礼ですが、たいした事はありませんでした。選挙カーさえボロかったのを覚えています。他の人たちが煌びやかな雰囲気で、選挙を行っている中。駅前で立って辻説法を行っている叔父さんの姿が印象的でした。そして、見つかるとマイクで呼び止められ、知らない人ばかりのテントしかない選挙事務所で、無理やり連れて行かれ、ご飯を食べて帰ったのを覚えています。選挙権がまだ無い僕に飯を食わしても、何の得にもならないのに、、、、。そして、一番お金を掛けていないのに、いつもトップに近い当選をはたしていました。きっと、僕のように、お世話になった人が、沢山いたのでしょう。その方が亡くなり、学生時代のように、除夜の鐘がなるころに、ご自宅に伺い、お線香を上げてきました。友人曰く「丁度、家族でお前の話をしていた。昔は、こんな時間に、毎年遊びに来ていたなってな。」と、言って笑いました。その中で、「ぼくら生きて居る人は、いったい何が出来るのか?」という命題を話ていました。あと、叔父さんは「人の面倒を見るのが好きだったのか?」と、いう話もしていました。きっと、「嫌いではなかったけど、望んでは居なかったのではないか?」ということになりました。「人が、人を呼び、叔父さんの人柄が、勝手にそのような結果になったのではないか?」という結果に到りました。そして、僕らに出来ることは、叔父さんがしてくれたことを誰かにすることではないか?と考えた次第です。
そして、年始早々、北海道の祖母が亡くなりました。母方の祖母なのですが、やはり、僕も思うところが有りました。祖父母は、北海道で僻地教育といって、学校の無い地域に小学校を作る仕事に携わっていました。祖父は、小学校の校長先生で、多くの地域で、学校を作ったそうです。残念ながら、距離も遠かったので、多くを語ることが出来ませんでしたが、「パイオニア精神」は、母方の祖父母から受け継いでいると、いつも感じておりました。そして、北海道の叔父さんや叔母さんそして、従兄弟達と話す度に、その気持ちは、確信に近いものを感じていました。そして、人に対する優しさもまた、学んだ気がします。そして、祖母を見送る母の背中に、涙が出ました。私は、いつも祖父母に愛されていることを感じていました。その気持ちは、一生忘れないようにしたいと思います。
きっと、ぼくは、そうした人たちから、「魂のいちばんおいしいところ」を貰っていたのだと思います。ぼくは、それを貰ったからこそ、今生きている。そう思いました。
この詩は、このように締めくくられています。
……….そうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた
そう、きっと、そうだったのではないかと思います。
その魂を僕は受け継いで、今日という日を生きたいと思います。
ダイクロンやブラストロンのことなら
千代田第一工業株式会社へ
Merry Christmas!&Happy new year!!
毎年恒例ではございますが、年末最後のブログは「Christmasネタ」とさせて頂きます。
コロナ禍がこんなに続くとは思いませんでしたが、今年はいろんな意味で考えさせられる年となりました。
先ず以て、雇用延長していた弊社の職員が亡くなりました。創業以来、現役社員が亡くなったことは初めてであったので、本当にショックでした。こんなご時世ですので、葬儀も細やかに営まれたのですが、なんというか、もう二度と経験したくない気持ちになりました。
ウクライナの状況も含めて、国際状況や金融市場は不安定ですし、弊社の景況も思わしく貼りませんでした。社内の問題を取り上げたら、切りが無いくらい。でも。。。。。。。。
少なくとも、去年の今頃に比べれば、大きく前進していると思います。
勿論、過日のブログにも書きましたが「コロナ禍が収束後、元の社会に戻るのか?」と、言う問いに関して申しますと「もう戻らない」と、思います。しかし、それが一概に悪い事でも無いと信じています。良いことも悪いこともひっくるめて、前向きに進んでいけたらと考えて居りますので、今後ともよろしくご指導ご鞭撻の程、お願い申し上げます。
皆様の元に、素晴らしいChristmasが来ることを心から祈っております。
良いお年をお迎え下さい。
千代田第一工業株式会社
代表取締役 鈴木信夫 拝
以下、2014年 12月24日 ブログより
以前のブログにも書いたのですが、時代遅れと言われましても、私は、レッドウイング社の製品が好きで
ああ愛しのレッドウイング(2011,05,12)
http://daikuron.cocolog-nifty.com/nobuo1/2011/05/post-22fb.html
現在所有している靴の幾つかは、未だにレッドウイング社製です。
レッドウイングというのはアメリカのブーツメーカで、学生時代は、3年くらい貯金して買ったのを覚えており、未だにメンテナンスをしながら使用しています。
https://redwingheritage.jp/category/MEN/
そんな中、今年の秋に一つのブーツが「壊れ」ました。具体的には、ソールが剥がれてしまいました。その日は、娘とお出かけで、大雨が降っていた&靴を脱ぐ予定はなかったこともあり、ブーツを選んだのですが、なんと、ソールがが剥がれてしまい、散々な思いを致しました。ペタペタと音が鳴りますし、何よりも歩きづらかった次第です。(勿論、そんな状況でも防水は十分でしたが)
釣りや、山登りにも使ってきましたし、それこそ新婚旅行も、海外出張も以前は、この一足だったので、思い出深く、リペアー(修理)に出す事にいたしました。調べましたら、直営店舗が減っていること、減っていること。。。
時代を感じた次第です。
結局、渋谷の店舗まで出向いて、事情を説明し、直して頂きました。待つこと3ヶ月。
じゃじゃーーん。しっかり直って参りました。また10年使えそうです。とても嬉しく思いました。大事に使うと申しましょうか、タフな状況は、この靴で乗り越えて行けたらと思います。
物持ちが良すぎるかも知れませんが。
時代遅れと言われても、大好きな靴である事は変わらないと思います。
それでは、失礼します。
ダイクロンやブラストロンのことなら
千代田第一工業株式会社へ
過日、ひょんな事で、地元のマイナーなおそば屋さんに入った時のこと。
夜も遅かったので、人数分の麺がないと言われました。
そこで、私は、ご飯モノを選ぼうとしておりましたところ
「たぬき丼」を見つけて、即注文しました。
「カツ丼」では無く、何故「たぬき丼」かと申しますと、思い出があるからでした。
現在では違法ですが、中学生の頃から現在の会社の手伝いを”させられていた”のですが、土曜日はまだしも、日曜日の昼食は「弁当」を母にお願いするのは憚りました。
仕出し弁当も、日曜日はなく、コンビニエンスストアも近くにはない時代のことです。所謂「ほかほか弁当」に行ってくると昼休みが無くなります。先輩達は「近所のおそば屋さんから、店屋物」
をお願いしていましたので、それに便乗することにしました。が、懐具合の問題と、食べ盛りと言うこともあり、選ぶことが出来るメニューは少なかったと記憶しています。
そんな中「たぬき丼の大盛り」が最もコストパフォーマンスが良く、好んで食しておりました。
と、言うことで、他の皆さんも美味しいお蕎麦を食べて、ご満悦の中、兄貴と二人で「たぬき丼」を注文し、とても幸せな気持ちになった次第です。
「思いでスパイス」もあったのでしょうが、何より、そこのお店の「たぬき丼」は、僕らの知っているそれとは違って、本当に立派な感じでした。
兄貴と昔話が出来て、良い夜になりました!!
それでは、失礼します。
ダイクロンやブラストロンのことなら
千代田第一工業株式会社へ
私は、ラジオが好きで
以前のブログでも書いてきました。
ラジオな人(20141020)
https://daikuron.com/noblog/?p=361
私とラジオ(20140214)
https://daikuron.com/noblog/?p=117
子供の時は母親が内職しながら聞いていた「大沢悠里の悠々ワイド」。
思春期には「オールナイトニッポン」(辻仁成、サンプラザ中野、とんねるず、デーモン小暮、中島みゆき、松任谷由実、etc)大学以降は東京FM(福山雅治、松任谷由実、やまざきまさよしetc)も増えてきましたが
ドリアン助川さんのAMもハマっていました。最近だと「JAM THE WORLD」何かも良いですが、
一番聞いているのは
「アフター6ジャンクション」(https://www.tbsradio.jp/a6j/)となります。
有名なラップ歌手「ライムスター宇多丸」さんがMCを務める番組なのですが、本当に内容が多岐にわたっていて面白いです。そんな中、こんな番組がございました。
2022.09.21水曜日 17:00~
プレスリリース
TBS日比麻音子アナウンサーが、 視覚障がい者のためのバリアフリー音声ガイド制作を担当し、DigiCon6ASIAグランプリ作品『骨噛み』上映会を開催。 ~TBS ラジオ『アフター6ジャンクション』
https://www.tbsradio.jp/articles/59643/
全く、何を言っているか解らないかと存じます。
ザックリ申し上げますと「視覚障がい者の為に、映画に音声ガイドを付ける」という企画でした。私はラジオドラマも結構好きですし、朗読も好きです。
現在は
司馬遼太郎短編傑作選
https://www.obc1314.co.jp/bangumi/shiba/
なんていうのも、聞いているくらいです。
ですが、いくらバリアフリーの世の中だと行っても、無理して視覚障がい者のヒトに「映画を見てもらう(聞いてもらう)」と、いうのは如何なものか?と、正直思ってしまいました。
しかし、新しい事が好きは私は、聞いて見ることに致しました。。。。。正直、驚きと素晴らしさに感動しました。
私は、今回上映された映画を見ておりませんが、是非とも見てみたいと思いますし、その意義について理解できた次第です。
ネタバレ承知でお話しすると、お父さんを亡くした末娘を通して、見える世界を10分の短編映画として纏めています。音声ガイドが無い場合の音声の比較もあったりして、丁寧に、丁寧に音声ガイドの素晴らしさを伝えていました。
私の知っている世界なんて本当にたいしたことが無いんだなあと。自分は差別や偏見に対して本当に忌み嫌っていますが、それでも尚、自分の常識の中でしか、経験の中でしか物事を捉えていないのだと、改めて感じた次第です。
現在は、色々な方法で、ラジオを視聴する手段がございます。是非とも経験して頂きたいと思います。百聞は一見にしかずと申しますが、逆の世界も又有るのでは無いかと感じた夜でした。
それでは、失礼します。
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コロナ禍に入って、新規営業を担当しているのですが、過日、懐かしい風景に出会いました。
と、この風景のどこが懐かしいかといいますと、
この矢印が入っている木になります。
私が入社したての頃に、やはり会社が厳しい状況であったので、新規をやっていたころ、兄の力を借りて「ホームページ」を作成し、問い合わせをいただいた会社にフォローを入れていました。そして、大きな受注を至る過程で、この川の護岸工事が行われ、そして桜の木をその企業が市に寄贈していた次第です。ひと昔以上前のはなしですから、そのころの苗木は立派とは言わないまでも木になっていました。そちらの会社は、当時は飛ぶ鳥を落とす勢いでしたが、市場の変化と共に衰退し、そのあとに業種転換を行って現在に至っておられます。
研究開発部門の皆さんに引き合いをいただきましたので、きっといくつも乗り越えるべき壁は出てくると思いますが、気合が入った次第です。
モノは嘘を付きませんので、最高のものをづくりをできたらと思っています。
それでは、失礼します。
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最近は、コロナ禍で、ゴルフコンペもめっきり減ってしまい、ゴルフをやる機会も殆ど無いのですが、
時々は、ゴルフに誘われることもございます。そんな中、自宅から60kmしか距離の無いゴルフ場を選んでだのに、事故渋滞で3時間も掛けて現地に到着し、
たどり着いたゴルフ場でこんなコースが。。。。
わざと写真を大きくしております。
どこ狙えって??そりゃー、ゴルフは、旗を目指して打つスポーツですけど。。。。。。
と、思って写真を撮りました。
勿論、僕のボールは、見事に池に消えていきました。
でも、楽しいですよね。
失礼します。
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